2010年12月20日
方谷駅に行ってきましたー秘境駅探訪と備中吹屋
山田方谷という方をご存知ですか。
備中高梁にある備中松山城の幕末期の藩士で、教育、藩政たてなおしに尽力し、戊辰戦争時、松山城の無血開城を成功させ、高梁の町を戦火から救った恩人として知られた方です。
その屋敷跡にその名をとったJR伯備線方谷駅があります。ここは、80年前の建築当初の姿をそのまま残した全国でも数少ない木造駅として有名です。
以前から気になっていた駅でもあり、訪れることにしました。
でも、うちの連れ合いと友人夫婦(ご主人は鉄道ファン)と4人でいくこともあり、ここから西に15-6キロほど山に入った、吹屋地区も訪れました。
備中高梁からバスで1時間、山を縫う細い道を通ると、忽然と赤錆色(弁柄)の吹屋地区の集落が現れます。国選定重要伝統的建造物群保存地区という大層な名前がついていますが、行ってみるとなかなか雰囲気のあるよいところでした。
幕末から明治にかけて吹屋地区は、銅山として栄え、副産物である赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の産地として繁栄を極めたそうです。「弁柄の町」として全国に知られていたようです。
しかも、吹屋街道の拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、薪炭、雑穀を集散する問屋も多く、中北部から荷馬の行列が吹屋に続き、旅籠屋、飲食店の立ち並ぶ山間の市場町として繁昌していたそうです。
歩いてみると町並みが落ち着いた赤錆色,瓦も赤錆色でいい感じ。町の人気さくに声をかけてくれます。
中学校を改造したホテルで、千屋牛の昼食。高級和牛だそうです。
町を散策後、広兼邸経由で、高梁川沿いの方谷駅へ出発。
方谷駅は、いかにも昔の日本の田舎の駅という感じです。おじさんの駅員さんがいそうな、あったかそうな木造駅です。(今は委託で年配の女性が管理してるそうですけど)
しばらく駅まわりを散策。静かで、誰もいません。
各駅停車がきたので、帰宅です。
連れの女性も雰囲気があってよかったとのこと。食事もおいしかったといってました。喜んでいましたよ。

吹屋地区 美しい赤い町並みです 吹屋小学校 在籍五名 再来年には閉校になるそうです

千屋牛 おいしかった!!!

広兼邸 お城みたい 金田一耕助シリーズなどに出ていますよ 方谷駅 寅さんが利用しそうないい感じの駅です
備中高梁にある備中松山城の幕末期の藩士で、教育、藩政たてなおしに尽力し、戊辰戦争時、松山城の無血開城を成功させ、高梁の町を戦火から救った恩人として知られた方です。
その屋敷跡にその名をとったJR伯備線方谷駅があります。ここは、80年前の建築当初の姿をそのまま残した全国でも数少ない木造駅として有名です。
以前から気になっていた駅でもあり、訪れることにしました。
でも、うちの連れ合いと友人夫婦(ご主人は鉄道ファン)と4人でいくこともあり、ここから西に15-6キロほど山に入った、吹屋地区も訪れました。
備中高梁からバスで1時間、山を縫う細い道を通ると、忽然と赤錆色(弁柄)の吹屋地区の集落が現れます。国選定重要伝統的建造物群保存地区という大層な名前がついていますが、行ってみるとなかなか雰囲気のあるよいところでした。
幕末から明治にかけて吹屋地区は、銅山として栄え、副産物である赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の産地として繁栄を極めたそうです。「弁柄の町」として全国に知られていたようです。
しかも、吹屋街道の拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、薪炭、雑穀を集散する問屋も多く、中北部から荷馬の行列が吹屋に続き、旅籠屋、飲食店の立ち並ぶ山間の市場町として繁昌していたそうです。
歩いてみると町並みが落ち着いた赤錆色,瓦も赤錆色でいい感じ。町の人気さくに声をかけてくれます。
中学校を改造したホテルで、千屋牛の昼食。高級和牛だそうです。
町を散策後、広兼邸経由で、高梁川沿いの方谷駅へ出発。
方谷駅は、いかにも昔の日本の田舎の駅という感じです。おじさんの駅員さんがいそうな、あったかそうな木造駅です。(今は委託で年配の女性が管理してるそうですけど)
しばらく駅まわりを散策。静かで、誰もいません。
各駅停車がきたので、帰宅です。
連れの女性も雰囲気があってよかったとのこと。食事もおいしかったといってました。喜んでいましたよ。
吹屋地区 美しい赤い町並みです 吹屋小学校 在籍五名 再来年には閉校になるそうです
千屋牛 おいしかった!!!
広兼邸 お城みたい 金田一耕助シリーズなどに出ていますよ 方谷駅 寅さんが利用しそうないい感じの駅です
Posted by Laidback_take at 19:57│Comments(0)
│鉄道